思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

2012-04-10から1日間の記事一覧

尊厳死法制化に思ふ、壱

尊厳死法制化には、ぜひ見た目は健康者なれど精神的に追い詰められている人や、此の世に生きる意味を見出せない人などが選ぶ自死(=自殺)も含めた尊厳死を認めて欲しい。

尊厳死法制化に思ふ、弐

一方に生を求める人が居て、他方に死を求むる人が居る。 人の望みはそれぞれなれど、確実なのは一つ。 此の世に生を受けた者は、確実に死に向かって時を刻んでいると言ふコト。 生が素晴らしいのは、必ず終わりを迎える儚さゆえさ。

尊厳死法制化に思ふ、参

尊厳死を「救わない」と解釈する人が居る。ならば、問いたい。 「何から救うのか?」病か? 現代医学で治せない類の病であったら、それは「救わない」のではなく、「治療が施せない」とすべきではなかろうか?

尊厳死法制化に思ふ、四

健康で文化的な最低限度の生活が保障されない日本と言ふ国で、尊厳死さえも許されないとしたら、生の意味を見出せない者は何に救いを求める?「救いを求める」か…。自分で書いてて違和感あるな、この言葉(苦笑)。

尊厳死法制化に思ふ、五

思ひだした言葉。"Now I am become Death, the destroyer of worlds" Bhagavad Gita, chapter 11, verses 31-33.