思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

『何か』その弐

人は伝えたい情念から、言葉を編み出したのかな? 〜〜8月14日の呟きより

三昧。

溜まっていたドラマやら何やらを見続けている。 TVの前に座り続けるなんて、もう何年も無かった事にちょっとだけ新鮮。 〜〜8月13日の呟きより

閾値

ドラマや映画の細部がリアルじゃないのが、どうしても鼻に付く。 見続けるか、早々と消すか? ドラマの展開にもよるけど、“消す!”敷居はかなり低いな…w。 〜〜8月13日の呟きより

「悪人」。

最後迄見れなかった。 なんで、リアルの詰めが甘いのだろう? 敢えて詰めを甘くしてファンタジーとしたいのかも知れないけど…、気にし過ぎか?分かり易いファンタジーをリアルに混ぜるのは、見られるのだ。 要は、見え透いた嘘なら良くて、隠そうとしてるの…

手前勝手な思い込み

この処の落ち込み、期待値の反動ってのもあるんじゃなかろうか? 表に見えない、けれど、勝手な思い込みで相手に“いつもの振る舞い”を期待してしまう。その振る舞いが無いからと言って、それは全て相手の所為では無かろう。 〜〜8月12日の呟きより

比率

一人になると、一つの思いが心を占める。存在理由。ただ、其れだけ。 〜〜8月12日の呟きより

乞う悔

あの時、手が離れた後の悲しみを知ってたら、放す事は無かったろうね。流星群…。 星に願いを託すなら、伝言がいいな。〜〜8月12日の呟きより

盆休み。

螺子の狂った脳みそは回復しないだろうけど、体の方は休めるかな(笑)。 〜〜8月11日の呟きより

ジョリジョリ

暑くて煩わしいから髭を3mmにカット。顎の周りだけ少し涼しくなった…かな? 〜〜8月11日の呟きより

ムクムクムンク

一人になると、『何故此処に居るのか?』と言う問いが頭をもたげるな…。^^; 〜〜8月11日の呟きより

ベクトルを執るべく

誤解ってのは、アクションに対するリアクションがあって、発信者の意図と違う事に気付いた時点から決まるのかな?例えば、受信者が発信者の意図を正しく理解したとしても、発信内容に対するリアクションを真逆に行う可能性だってあり得る。…と、するならば!…

黒画面は身動き取れない

久しぶりにPCがダウン。 BIOS画面さえ出なかった...orz 〜〜8月9日の呟きより

真実の数

ある対象物を、真正面から見るか? 真後ろから眺めるか? 真横から見るのか? それとて右なのか、それとも左なのか。 真上や真下というのもある。そもそも、真逆に正座し“見ない”ってのもあるな。モノの見方(情報の得方)なんて、自分の視点によってもバラ…

いずこも同じ空の舌

妻が意見求める時、コタエは既に妻の内にある。 …と言う意味の川柳があったけど、実にウチも似たようなモノ。 〜〜8月4日の呟きより

粛々と鬱々と

カミサンにしてみれば何気なく放った言葉なんだろうけど、其れが事の発端なんだよね。きっと。 〜〜8月7日の呟きより

床が暑いのか?

起きていると汗をかかないのに、横になると寝汗をかくってのは、どーゆーことなのだ?? 〜〜8月7日の呟きより

福島原発

毎日300トンの汚染水が海に流れ込んでいる、との報道。壊れたコンクリートは、容易く水漏れしてしまう。 漏れを根本から止める為には、作り直すのが基本。震災で壊れた建屋なら、漏れて当然だろう。 本気で止めるのならば、放射性物質、汚染物質の全撤去しか…

気分低迷中。

この落ちきった感じに包まれて、つい最近までちったぁマシだった事に気付かされたよ。トホホ〜〜8月6日の呟きより

変化

変わらない日常なんて無いのに、つい!「変わらない」事を愚痴ってしまう。 〜〜8月4日の呟きより

音の感じ方

やっと盆踊り大会が終わった。 家の中で、大声を張り上げないと会話が出来ない程の大音量で曲を流さないで欲しい(;_;) 〜〜8月4日の呟きより

有給は無いのよ。

盆休み、一日返上するか否か、思案中。 日雇いだからなぁ。。。 〜〜8月4日の呟きより

読皆力

鬱が酷くなってからというもの、長文が読めない。 文章の途中で、視線が飛んでしまう。 Twitterを利用している理由の一つは、文字数の手頃さがあるからだ。 〜〜8月4日の呟きより

割り込みも諸行

他愛もない事が、至極難題に感じる時がある。 実に、不愉快と感じている自分が、これまた情けない。 〜〜8月3日の呟きより

ムッ!頓着

町内会の祭が終わった…。 やっとの、静けさ。 しかし…。 周囲の騒音に、胃が負けた…。 胃薬で、幾分か緩和中。 〜〜8月3日の呟きより

ざっざっざっざ

悪戯好きの激しい雨だ。 其の雨で盆踊りが中止になっている…らしい。 静かでイイなぁ☆ 〜〜8月2日の呟きより

間尺の間

素晴らしい音楽は演奏を通して一体となれるけど、絵画や彫刻といった美術作品はある程度の距離をとって、其の素晴らしさを感じる。感動の距離感は、対象によって様々。 足りないモノに執着すると満ちているモノの存在を見失うのと、何処かしら似ている。 〜…

耳には心があるのだろう

人の言葉を胡散臭く感じるか、薀蓄と捉えるか。 此の境界は、何処から来ているのか?明確なラインは無いのに、瞬時に仕分けをしている自分が居る。 〜〜7月27日の呟きより