思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

履 歴 消

法人を廃止する関係上、負債棒引きの代わりに破産手続きをせねばならない。
破産せずに延命させる方法も有るには有るのだが、キレイサッパリ断捨離とする事にしている。
兎にも角にも何処かに潜り込まないとと思って、履歴書を前にして悩む。悩む。悩む…。

まだ、矮小だけども経営者。
以前さらりまんだった頃は人事も手掛けたし、チームメンバーの選考も行なったけれども、当時も今も「履歴書不要!」と言う考えは変らない。
何故って?
マーケット調査をやった事のある人なら、誰でも思ふのではないだろうか?
所詮は、「ただのデータに過ぎない」って。

マーケット調査なんて、「何処で」「何を」「何の目的で」調査するのかを決めた時点で、(主体的に)得る情報となり、情報自体にバイアスが掛かる。
其処から得られる結論は、基本的に一方からの見方となり易く、参考情報の域を出なくなってしまう。

人事側の立場で見ると、個人情報少載?の履歴書は、書かれているデータに間違いは無いだろうけれど。
「情報=個人の全て」ではなく、企業へ潜り込む(=職を得る)為の、虚飾が混じっている様に感じるものもあった。
「だから!」と言う訳でもないのだが、僕は、応募者の履歴書を殆ど参考にしなかった。

人事畑一筋の人から言わせると僕の考え方なんて甘いのだろうが、人事担当者は「自分が採用した人間が、真っ当に働き、そこそこ業績を伸ばし、不祥事を起こさず、上司に楯突かず、人事の業務を煩わせなければイイ」位にしか思っていないように見えるのは、聊か偏り過ぎだろうか?

ITでマネジメントをしている時は殆ど火消し屋でしかなかったから、当然、現場の人選権は無く。
自分にあてがわれた人材のみで燃え盛る難題に対処した。
結局は事なきを得るのだけども、その時から強く思うようになったのは、人の能力なんざマネジメント側の匙加減一つで、伸ばしたり萎縮させたり出来るって事。

そう言えば、同じ事を、絵描き家業の時も思ったな。
「ど」が付く素人が漫画家さんのアシスタント応募に来るけれど、一本の線も商業水準に達しない。
そんな力量でも、数ヶ月もすればイッパシの線が引けるようになり、背景を任され…てのは、良くある話。

人の力量なんて所詮、応募時点における技能や職種に対する適応性以前に、素性が良ければ、ある程度の水準までは誰でも到達出来るもの。
…と多くの実践から僕は学んで来たのだけども、このような考え方から見ると、人事担当者の基準が未だに「ワカラン」のだ。

経営者として選ぶ時は、法令遵守は当然だが「個人の性格なんか破綻してても構わないから、会社の業績を伸ばせるかどうか」を基準にしてたし、ITマネジメントの時は「ITへの理解力なんて無視して、センスがあるか否か」これだけ。
因みに、絵描きの選考基準は、「体力があるか否か」だけです(笑)。

とまぁ、愚痴をツラツラ書いたけど、今もって人事の人達は「旧態依然の採用基準を頑なに守っている」訳だから、ココを上手くつけるかどうかが、採用されるか否かの分かれ道なのかな?
どうしよう?履歴書。
今更、縁故筋への復帰はあり得んし。
無難路線で行くか?
破綻路線で行くのか?
さて??