Q.神仏を信じていないのなら・・・何を信じているの?
A.僕は、人類が其の永い歴史の中で編み出した宗教を信仰の対象としてでなく学問として捉え、また「神仏」という言葉や文字が指し示すのは宗教と言う名の学問における記号として認識しています。
此の点は過去、何度か記事にしている内容と重複しますけど、ナザレのイエスも人の子。ゴータマも人の子です。
彼らの「人としての生き様」は、彼らが此の世を去ってから様々な伝聞を基に編纂された物。
「人としての生き様(の記録)」は、とても凡人の僕に真似出来るよう内容ではありませんが、かと言って、彼らを直接、信仰の対象にしてしまう程の内容でもありません。
しかし、人の子ではない神様や仏様と言った、人智を超えた存在自体を否定するモノでもありません。とは言え、僕自身も「人という枠組み」の中に在る以上、人智を超えた存在がどの様なモノかは、想像しても仕切れるモノでは無い。
それでは、と。僕が此の世に生まれて来る前のキオクを紐解いてみたところで、「其処(=彼の世)に神仏は存在せず、ただ無限の地平が在る」のみ。
ん?
彼の世には神仏は居ない??
そ〜です。「僕のキオクの中には居ない」のです。
あくまでも「僕のキオクの中」だけのお話しですよ。けれど、彼の世に居た頃のキオクなんて凡そ思い出せないコトの方が多いくらいですから僕のキオクに無くても、神仏は存在しているかも知れない。(←恐らく存在してます)
だから、と言ふ訳ではありませんが、僕は神仏を表記する際「在る」と付け加えてしまうのですね。「居る」ではなく「在る」と。
少し話がずれました。
『神仏を信じていない』と言ふ質問に対しては、あくまでも人類が生み出した宗教という学問における『神仏を信じていない』だけです。
因みに、「存在しているか否か?」と言ふ問いには、「存在している」と応えてます。
『何を信じているの?』と言ふ質問。
僕の信仰の対象は何か、お応えしなくては為りませんが、其の前に。
信仰という言葉自体の意味は、
『とある宗教を信じて、その教えを拠り所とすること。
神仏などを信じ崇めること。』
なので、特定宗教を信じていない僕としては、神仏を信仰の対象としていないと為ってしまいます。
ただ、信仰には別の意味もあり
『経験や知識を超えた存在を信頼し、
自己を委ねる自覚的な態度をいう。』
そうなので、人智を超えた存在には自己を委ねます。…となると、「人智を超えた存在」が神仏と同一か否か?此処に焦点(≒争点)が当たりますね。
僕は「人智を超えた存在」を、人類の手垢に塗れた宗教(=人智の枠に囚われた存在)と神仏を切り離しておきたいコトもあって、無神論者を名乗ってます。
それでは「人智を超えた存在」とは何か?となりますけど、僕のコタエは「大地や海、地球や宇宙、幾何学や数多の学問といった森羅万象」です。目に見えるモノ、目に見えないモノ、既知のモノ、未知のモノ、全て。
と言ふコトで、『何を信じているの?』と言ふ質問には、「森羅万象」とお応えします♪