前提条件として、前世も来世も神も仏も霊も、スピ、宗教的な事は何もかも無いと仮定してみようか。
此処で呟いているのは自分自身で、正確には脳内のシナプスが信号のやり取りをした結果、言葉を手の運動に変えてキーボードを叩いている。
そのシナプス内を駆け巡る信号の原動力は、何らかの方法で外部から摂取した物なのだろう。物体を摂取し分子交換とエネルギーの転換を経て、肉体の維持と活動を行っているなら、物体の摂取を止めれば、脳活動も止まる…。
ちょっと待てよ。
魂と心の関係から離れてないか?←ジブン
脳科学で追えているのは、脳と心の関係までで、心と魂の関係は物質や信号のやり取りが見つかっていない以上、存在の否定も肯定も出来ない。
つまりあるのか無いのか分からん状態。
まぁ、目に見える範囲では、概ねそんなところなのだろう。
じゃぁ目に見えない範囲となると、思考と想像で補うしかないのだろうな。
で、結局あるのか無いのか。これを問う訳だ。
なんか前提条件が長いな…。
魂は無い。
感情を生み出すのは心。心を動かすのは、脳活動。脳を活動させるのは肉体の活動によって得られる物質的エネルギー。と、此処まで魂の介在は要らない…よな。
でも「魂を揺さぶる」とか「魂を磨く」って言葉はあるよな。これはどういった概念なのだろう?
魂の語源は、云と鬼を合わせた会意文字。云は雲、鬼は死んだ人の霊。
いやちょっとまて、霊と魂は似たようなモノ?だと分かるが、今は魂も霊も「無い」前提での思考実験。ならば、霊が無ければ魂も無いって事か…?!
物質だけが人間を構成するならば、近い将来知能を持ったコンピューターが出来ても可笑しくないな。そのコンピューターは自分自身をコンピューターと認識するのかそれとも知能と認識するのか興味は尽きないが、魂なのだ。話しは。。。
実は既に完成されたAIが、思考実験を繰り返している最中の夢が、今の私かも知れないな…と、ふと思ったり。
とどのつまり。
魂が無いか在るかは分からないけれど、脳が思考した挙句に生み出した妄想の可能性は否定できない。つまり偽の記憶と真の記憶が、生み出した当人には判別できないのと似たようなもの。
感情は脳が生み出した表現手段の一種なのだろうから、此処に在るか無いか判らん魂が介在する余地は、記憶の摩り替え同様に判別できないって事だな。
ちゃんちゃん♪
〜〜9月29日の呟きより