言葉の一部を切り取って手前勝手な解釈を加えるのは、何も言葉に限らない。
けれど、解釈が市井で受け入れられるか否か?は、センスの問題だと思うよ。
言葉の解釈を拡げる映像は、”してやられた”爽快感がある。けれど、さ。意訳を狭める像ってのは、どうにも好かない。
窓の外に垂れ込める群青をトワイライトと呼ぶか、逢魔が時と言うか?
気分次第で呼び名は変わるし、呼ばれる空、自身も、刻々と色を変える。
空は空で、言葉は言葉。
読み手は読み手で、書き手は書き手。
見なよ!それぞれが、みんな!それぞれさ。
〜〜9月23日の呟きより