思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

10月11日の呟き

頭痛中。アスピリン投下。
効くかな?どうかな?

怠惰に流す時が、至福だったりする。

ワンコの散歩。
散歩って言えば聞こえはいいが、ようは排泄に付き合っているようなもんだ。だからウンコの散歩といっても過言ではない気がするのは、僕だけか?

子どもらの風邪がようやく終焉を向かえる頃、親に移るのはよくあること。にしても、だ。なんだか濃厚な気がするな今回のは。
喉はヒリつくし頭は重いし、それでいて発熱しないから、体の中に菌?は留まるし、なにぶん中途半端ゆえに体がだるい。

特売品のカプチーノが、思いがけず旨い!!

うっ詩・詩。
さぁて、どう切り替えしてくるのか?
いつも以上に、楽しみにしている。

「酷い雨」って何だろう?と考えていた。
人間にとって「酷い」のであって、雨からしてみれば酷くないと思う。ただ降り方がいつもと違うだけで。
そう思っていたら、雨の降り方が人の感情表現に似ている。そんな気がするのさ。

14,400bpsの耳鳴り。

以前…と言ってもかなり昔の事だ。吉祥寺の街で宗教の勧誘に出会った事がある。咄嗟に口から出たのは「僕は神だけど、貴方は信じますか?」だった。
相手が無言で立ち去ったのは、言うまでもない。

家に固定電話があるのが一般的だった頃、先物取引だったかマンションだったか、何だか忘れたけれど勧誘の電話が鳴った。
あまりに暇だったものだから「幸せの壷、買いませんか?」と逆セールスを掛けてやったのさ。もちろん双方痛み分けだったけれど、その後、撃退方法の定番となったのは言うまでもない。

湯に当たりましょう。
のほほ〜んと、何も考えず!←と強く念じて、湯に当たりましょう。

自ら見た事の無いものや触れた事の無いもの、知らない事や歴史上の出来事を、受け入れられない人が居るのは知っちゃいるが、それってあれだよね。五代も先祖を遡ってみれば、ほぼ土の下。皆、見る事も触れる事も感じる事さえ出来ないのに、自分が存在している。その存在をも否定したいのかな?さて?

悪人で無いイコール善人である?って??
悪人ではないイコール善人でもない。コタエなんて案外そんなものさ。

嗚呼、やっぱり湯に当たろう。
灰色の脳みそも洗ってサッパリせねば!

湯に当たり脳の垢も落として、サッパリ。
そういやぁ。。。アカウントの事を垢って書く人が居るのだね。造語は良いし、誤用も“あり”だとは思うけれど、どうも鼻につく。これは僕の性分じゃない。

言葉の使い方としてガツンと脳みそを思いっきり殴られた!事がある。
「〜だしねぇ。」と、語尾に“死ね”が付くのは良くない!と。
言われてみれば、確かに“死ね”とある。うん、確かに良くない。若かりし日そう思い、今も使わない様にしている。


〜〜10月11日の呟きより