思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

10月25日の呟き

恋は胸キュン♪なら、愛は心がギュンギュン♪なんだろうか?

抱くよりも抱かれる方が気持ち良いのは、赤子の時の記憶がそうさせるのだろうね。

人が人を殺す理由を知りたくて、猿を調べている学者が居る。(←事実ですよ)
しかし、猿も同胞を殺すのだ。
生きモノは、いつまで遡っても同胞を殺すんじゃないかな?
神様だって神殺しの神話がある訳だし、同胞を殺してしまうのは、時の初めから仕組まれている事なのかもね。

いかん!
部屋が冷えるし喉が渇いたな〜と思って、目に留まったのが抹茶ラテ。
いつものように低脂肪乳を注いだら、出来上がりは冷え冷え。
肌寒いのに、何をしているのだ!←ジブン

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」
権利なんだよね。権利。
と・こ・ろ・で!
此の国に“文化”という大層なモノ、いつまであった? いつ途絶えたのかな?
沙漠の都市を見渡せば、目に入るもの全て文明だらけ。文化とは、とんと無縁に感じます。

さて、ワンコと哲学するぜ!(←いわゆる散歩ってやつ)

遠くへ行きたい。とても遠くへ。未来よりも遠くへ。

冬がそこ迄やって来ているんだってね。
木枯らし1号に乗った又三郎がそう伝えていたと、さっき聞いたよ。

死者の躯を前に蝋燭を絶やしてしまった僕は、何の人と共に地上を彷徨っているだけかも知れないな。

トウキョウは今宵も、誰かの夢を啜っているだろう。

震災の後、六畳の部屋に入りきらない程の書物を、ほぼ全て処分した。
今、僕の手を動かしキーボードを叩き続けているのは、手放された活字の亡霊かも知れないよ。

街の空気を吸わない者が、時代の蠢き知らぬ者が、他人の吐き出す二酸化炭素の味を知る訳なかろうさ。
妄想だけじゃ、味は分からぬ。

こちとらカタカナ英語しかしゃべれないけれど、お前さん方(←注:日本人です。)のへべれけ日本語よりはマシだ。と腹の中で呟いていた外資勤務の頃。

「チャンネルを回す」って死語なの?

むつかしい語句を並べて、ややこしい内容を生み出すのは意外なほど簡単さ。反対に、やさしい語句を用いて、むつかしさを分かり易さに変えるのは、むつかしい。
さらに言うなら、簡単な語句の向こう岸に深遠な世界を垣間見せるのは、もっとむつかしい。
分かっちゃいるんだ。分かっちゃ。。。

「人は変われる」と言う人と、「人って変わらない」と言う人。
さて、どちらが真に近いのか?

雨に近付きたい。

今日は旧暦の九月十三日。お月さんは十三夜。名月ですね。
空を望める方は、ちらりと仰いで下さいな。


〜〜10月25日の呟きより