煎餅が旨い。
雲は…。
浮かんでいるものなんだろうか?
流されているものなんだろうか?
漂っているものなんだろうか?
人は?
人はどうなのだろう?
今朝、水のやり忘れと暑さでうな垂れていた朝顔に水をやった。
今見たら、少しだけ葉の勢いが持ち直していた。ヨカッタ。
買い物に出かけなくては…。
約束の時間。
間に合う筈なのに余裕がないと思ってしまうのは、心に余裕が無い所為か?
時間に限らない…な。
客商売、とことん向いてないなー。自分。
苦労が足りないと聞くけれど、足りる日というのは、いつ来るのか?
それとも来ないのか?
過去を切ったら未来も切れると、案外と面白そうだ。
此の世は修行の場と言うが、はて?自分は何の修行をしているのだ??
自分の絵は相変わらず下手だけど、他人の絵は「巧い」と感じられるようになった。「上手い」で無いのは相変わらず偏屈だからなのさ。
カミサンに「ウィンナー問題勃発!」と呼び出された。何事だろうか?
盲目の人が撮る写真は、色彩豊かな気がしてならない。
耳の奥がツンとなるような無音の世界をもう一度味わいたいが、慢性耳鳴りだからこの先も無理だな。きっと。
言葉を狩られる詩人達が、最後に放つ言葉は何だろう?
中学生だったか高校生だったか、「人間(←じんかん)五十年」は永いと思っていた、が!辿り着けば(まだだけど)案外短いものだと、最近とみに思う。
それにしても…、真っつぐ生きるつもりが結果的に大きく蛇行している(←進行形)ってのに、とんと身に覚えが無いってのは良いんだか悪いんだか??
思考“速度”が計れるとしたら、今の自分は過去の自分と比較して、どれくらい低下しているのだろう?
同時処理能力の高さが“売り”だったのだが、今は一つの事で手一杯。
これは老い?それとも負い? いや…。いっときに両方進んでいるってのもアリだな。
プロモートで神楽坂の広告を見せられてもなぁ。関東方面へ出掛ける事なんて、とんと無いだろうけれど、美味そうだ。無念…。
湯に当たって来よう。
台風が佃煮の様に来ているのだね。どれか直撃するのか知らん?
また一人、ツイ繋がりの人が消えた。
ふぃと消えたから、ふぃと戻って来て欲しいなぁ。
平穏な日々を忘れて、人は幸せを探す。
平穏じゃない幸せって、なんだろう?
自分探しは、幸せ探しなのか?!
そりゃあ、見つかり難いわ。
鬱になる前、やりたかった事を再び思い描き始めている。
流される日々よりも、流れに乗る。よしんば流れを作り出す。
まだまだやれる事はありそうだ。
夢を原資にする。
馬鹿げているかい?
故郷か…。
高度経済成長の名の下に、消え去った日常。
街中を漂う金属塗れの臭い。煤けた空に橙色の太陽光。麒麟の様な鉄塔と黒煙が似合う煙突。
日々変わりゆく街並みと臭いの中、人の移ろいも変わった。
それが生まれた場所の宿命か。
時代に押し流された、ふるさと。
子どもらが自分の歳になる頃、人類は火星に到達していて欲しい。
争い続ける地上じゃなく、協力しないと生き抜けない火星で。
そしたら人は、ちったぁ変わるんじゃないかな?
昔付き合っていた女性に「自分の時間が無い」と、怒られた事がある。
時間を共有するのは、むつかしいと感じた、あの日の出来事。
今、カミサンとの時間は適度に噛み合って、適度に噛み合わない。それが良いのかもな、今は。
今「死にたいか?」と問われれば「死にたい」と応えるし、「消えたいか?」と聞かれれば「消えたい」と応える。
だって面倒だよ。「生きる」っての。それがアバウト五十年生きた感想。
まっ、あと半世紀生きる事は無いから、峠は越えたね。きっとね。
僕は「若僧」と呼ばれなかったから、若い子らを「若僧」と呼ぶ権利は無いのだろう。
実際には、身近に言葉遣いの間違った若僧も居るし、間違った行動しかとれない者も居るけれど、此方には教え諭す程の体力が無いのだ。
彼等の不幸を、自らの体たらくを、誰の所為でも無い雨に流して欲しい。
最後に言い放つ(≠残す)言葉が「ざまあみやがれ」っての、なんかいいじゃん。
〜〜8月20日の呟きより