思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

今日昔

誰かが責めているうちは、まだいいさ。
避けるべき対象者が居るのだから。
自分を責め始めると、収集がつかない。
忌むべき対象者が居ないのだから。

自分を責めて解決策が見つかるなら、そうすればいい。
ただ…。大概は解決策なんか、これっぽっちも見つからないけどね。
分かっちゃいるのだろう。分かっちゃ。
それでも責めずにおられない過去もあろう。
だから人は、“忘却”という仕組みを、自らの体内に仕込んだんじゃないかな?

もしも人類が“強くて楽しい”生き物だったら、地上の覇者?と成り得ただろうか?
もしも人間が“強くて楽しい”生き物だったら、文明は生じたろうか?
もしも人が“強くて楽しい”生き物だったら、哀や孤独を持ちえただろうか?
弱さと、痛みと、悲しみと、孤独と隣り合わせだから、人なのかも。

弱さを知っているからこそ強くなれると言うけれど、さ。
弱さは、矢張り、弱さなんじゃないの?
弱さに慣れてしまった状態を強さというのなら、私は弱いままでいい。
弱さの感受性を、敏感さを、失いたくないから。


〜〜6月3日の呟きより