思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

く・らく

全てが自分の思い通りになったとしたら、それは「楽」と言うのだろうか?
初めから思い通り、故に上手く行かない事を知らない者が、「楽」を認知出来るのか?
そもそも、だ。
「楽」って何だろうね?
比較の一つ?
それなら、その基準は誰のもの?

そもそも「苦」とは何だろう?
その状態しか知らない者にとっては、それがニュートラルな状態。そこが基準になる気がする。
と、するなら、ば。
「苦」を基準にするか?「楽」を基準にするのか?で、人の見方は大きく変わる…ような気がするな。

乳飲み子が「楽」か?と言えば、腹も減るだろうし、尿もでる。「不快」はあるだろうし、「快」もあろう。
では「苦楽」は、いつ「覚える」のだ?

自我が「目覚めた」時に、「苦楽」を認知するのだろうか?
思い通りに行く事と行かない事を繰り返し、「苦楽」を学習するのだろうか?

結局の所、「快、不快」も「苦楽」も、自分基準なのだよ。
だから閾値を何処にどうもって行くか?で、基準も変わる。
曖昧なんだよな…。
その曖昧なもの、自分の中のものに、自分自身が振り回される。
何処か、滑稽。


〜〜8月31日の呟きより