思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

ふぁいと!

闘わない奴らが、私を嗤うなら嗤えばイイ。
闘わない私を、私自身が嗤うなら、それもイイ。
闘いが全てじゃない。闘わない選択肢だってある。
逃げ切れるかどうかは定かでないが、逃げる選択肢だってある。
自分のために。守りたいモノのために。闘わずして勝ちを得る方法だってある筈さ。

人生「勝ち負け」が全てじゃないけれど、「勝ち」の響きは捨てがたい。
だから「負けるが勝ち」という言葉もあるのだろう。
ただ…。
「勝ち組」「負け組」という言葉は嫌いだがね。

「不安」にしろ「重荷」にしろ、自分で背負ってナンボなんだろうね。
ど〜こ〜したところで、生じる不安は掻き消せないし、背負った荷物は降ろして休むのが関の山。
他人が手助けできるのは、応援くらいじゃないのかな?
分け合うって?手を貸す方が更なる重荷を背負っていたら、それでも分ける?

人生“街道”と言うけどさ。
岐路ばっかり!と言うか、街道ならまだしも獣道だったり。
それ以前に、道ならば、まだ許せる。
実際は、目の前に広がるのはいつも荒野で、辿って来た足跡は砂煙の中。
これまでも、この先も、そうそう変わる事はあるまい。
まぁ、線路牽かれて乗るよりマシか。w

年を積み重ねるってのは、「若さ」も「バカさ」も失うって事だ。
いや「バカさ」は隠す事かも知れない。

人をやって半世紀。
人生経験だけで生きて行くにはまだまだと思うのだが、こと職に関しては“経験”を求められるのだよ。挑戦ってのはいつだって遅くないと思うのだが…。

不安とは、押し寄せるもの?
自らの内側から、生じるもの?

所謂さらりまんの方々は、嘱託を利用しても概ね65歳で職場から引導を渡される訳だけど、その後はどうするのかね?
まぁ、他人事だけどね。


〜〜10月30日の呟きより