思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

いやよいやよは、いやだって!

昨日観たニュースで、芸術作品を映像化し、かつ、視点を自在に動かせる機器を説明していた。
それは、それで。
触れられない物を鑑賞する手段としてはアリだと思う。
でも、さ。
それって、鑑賞者の目が見えている、ことが前提だよな?と。

目が見える。
耳が聞こえる。
前提として、自分があるのは分かるけれど、さ。
創作物を世に出すのなら、前提条件は世に合わせる。ってのが必要だと思うのよ。
目が見えない人が、写真に貼り付けられただけの文字を読むのは無理で。
なんらかのデバイスや人の助けが必要なのだけども…。

世に出さない創作物なら、どんな物でも、そりゃ構わないさ。
出すのなら。
創作物を「そのままでは」認知できない者に、どれだけ寄り添うか?
っての。
作者なりの配慮が欲しいのよね。
もっとも。
配慮に欠ける作者は、そもそも「想像力が乏しい」のだろうし。
乏しい想像力から、優れた作品は…

視力が落ちてから、ブラウザのフォントは大きさも種類も固定している。
そうすると、凝ったWEBだと、表示がガタガタになる時があって。
あゝ、この人は。
狭い世界に居るだな…と。

まっ、そんなものだよ。
日常なんてのは、そんなもの。
歩み寄ると、離れる。
それが世界。


~~12月6日の呟きより