考えていない人は、きっと少ない、とは思う。
けれど、それは事象の表皮に触れるか触れないか、くらいの内容で。
確たる疑問も抱かず、思ったことを優先させて日々を過ごしているのだろう。
筆記具が紙に書けて、当たり前。
包丁は切れて、当たり前。
スマホに文字が入力できて、当たり前。
「当たり前」の『仕組み』に疑問を抱かず、道具に使われている木偶。
使っているのでは無い。
道具に使われているのよ。
ググる。
何らかの結果が表示される。
それが「正解」と、思い込む。
脳が疑問を挟むことなく、受け入れる心。
デジタルの呪詛に取り憑かれた、多くの木偶。
…そんな、気しか、ない。
~~8月7日の呟きより