「死んで楽に」なったと言う人を、私は知らない。
死人に口無しだし。
モモの作者エンデ氏は、死を「扉」と言っていたそう。
きっと、そう。
そんな気がする。
こっちでの荷物は下ろせても、あっちで荷物を背負わない、とは限るまい。
「楽」が、現状からの解放で。
「死」が「楽」への間違いのない道ならば、とっくに「死」の扉を開けていたろう。
今日まで開けていないのは、つまり、そういうことだから。
五十六億七千万年。
救済なんてのは、当分先なのよ。仏教によるなら。
と言うことは。
生きていようが、死んでしまおうが、五十六億七千万年もの間は…。
~~1月5日の呟きより