思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

5月31日の呟き

日付変更線を跨いだ。
脳みそは日付を更新するが、静寂はただ静寂のまま。
思考のせかせかに、夜の帳が静かに幕を下ろす。
ゆるりゆるりと。

共鳴する脳。
共振する、心。

目的を見失って、生きてちゃいけないのか?

おはようございます。
どんよりと覆った雲の切れ間に青空が顔を出している、そんな静岡です。
今日は久しぶりに気合を入れなければならない日なのですが、まだ緩んでます。
そんなこんなで一日の開始。
今日も主役は、ぼちぼちです。

投げられた言葉を拾う。
問われているのは、限りなく送り手の思い。
受け手の柵がどうあれ、言葉から得る情報は送り手のものに近くありたい。

「どうすればいい」と投げかけられた言葉に、「こうすればいい」と返すのは無粋ってものだろう。
欲しいのは解答じゃなく、寄り添える言葉、寄り添う相手なのだから。

書類の手続きに役所へ行った。印鑑を忘れて! この時点でNGじゃんね。

そろそろ夕食の時間だ。
家族揃って同じ時間に食べられる。なんて素敵な事なんだろう。
自炊していた時は、食事時間はバラバラなのにメニューはだいたい似たり寄ったり。なるほど偏った食事であった。
一人だと味気ないんだよね。どうしても…。
特別な料理ではなく、素朴でも誰かと一緒の食事をする、出来るってのは、隠し味の一つなのかも知れないな。

僕は、画面の向こうに居る、“誰かの一人”です。
画面のそちら側に居ないのを、もどかく感じる時が少なからずあるのは、傲りでしょうか? ただの自己満足でしょうか?
…自問しています。

人は幾つになっても恋をする。
ただ、実行に移せるか?ちゅうと微妙なんだよね。
生きてりゃ、柵の三つや四つもあろうから。

カミサンでも以前の彼女でもいいのだが、付き合っている時はそのヒトしか見なかったし、他の女性と絡む事なんか一度もなかった。
ところが、Twitterやblogだと、いろんな立場の人を応援したくなる。
絡みたい訳じゃない…と思うのだが、これは自己満足(←承認要求?)なのだろうか?

恋って、特定の人だけを追うことでしょ?
(狭義の)愛って、特定の人を受け入れることでしょ?
半世紀生きたって、分からんものは分からん!

肉体年齢は半世紀。精神年齢は四半世紀。
このギャップが、身体のあちこちに歪となって生じる。
凝りの原因の一つは、心体の乖離もあるのだろう。
…まっ、いっか。

明朝は、5時20分には家を出なきゃ。メモメモ
で、帰りは何時になるのだろう?

この先、往ってしまった彼ら彼女らへの愚痴が増えそうだ。
それが齢を重ねる事の一つでもあるのだな。そうなんだな。

明日のために、早く寝るかな。
おやすみなさい。夜の子供達。

中途覚醒
まだ23時とみるか、もう23時とみるか?
ただ時計は、静かに数字を積む。


〜〜5月31日の呟きより