思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

6月1日の呟き

おはようございます。
昨夜からの雨が、ほそぼそと残っている静岡です。
もうホントに濡れるか濡れないか程度の雨なのですけどね?
足早に来て、足早に去って行ってしまいました。
今週末運動会を予定している所は助かったでしょうね?ぬかるまずに。
そんなこんなで、今日も一日ぼちぼちです。

運転すると人が変わると、人の言う。
あれは、運転しないと人が変わるのじゃ、なかろうか?
素が運転状態の自分で、運転していない時の自分は偽り…。
これ他にも当てはまりそうだ。
運転を飲酒に変えるとか、ね。

講習。
分かっているから、分からない人よりも先に手を出す人。
分かっていても、分からない人の学習の機会として手を出さない人。
どちらが正解と言い切れないだろうが、少なくとも集団講習は疲れる。これは言える。

家から出られない程に心の状態が不安定な人にとって、家の居心地の良さは重要だよね。
家族がいるなら、家族の理解も必要。
けれど、そんな最低限の事さえ中々実現出来ないのは、周囲の理解力と関心の薄さ。
なってみなきゃ分からないのが、病ってやつなのだとしたら、なんか悲しいね。

さてさて講習開始。

雨上がりの青い空。
風が心地良い。昼寝しよ。

明日の予想最高気温が28℃になっている。暑そう…。

休憩時間は比較的静かに感じるのは、講習中は機械と大声が飛び交うからだろう。
それでも耳が休まるのは、いい。

助詞の使い方が下手な人は、助手の使い方も下手な人だったり。

帰宅して、ごま煎餅中。旨し。

もしも最古の言葉の意味が「I Love You」ではなく、「Do You Love Me
?」だとしたら、などと考えている。

闇に飲まれ闇と同化した人間の、表の顔ってどんなのだろう?

ゴマ煎餅にしても、チョコレートにしても、旨いものは何故?こうも簡単に減るのだぁぁ!!! ←勿論、食べているからに決まっているのだけど、敢えて心の叫びを!(笑)

心の中ってのは、誰にも、もしかすると、当人にも分からないものかも。

自分の顔は、他人にとってのアイコンに過ぎないと言ったら、言い過ぎか知らん?

そろそろ夕飯の時間だ。
何はともあれ、腹は空く。
そうして細胞の集合体は、生きながらえる。

湯から上がったが、今宵はゴロゴロ。。。

体はゴロゴロしていても、脳はゴロゴロしないのだよ。
パスワードロックして、脳の活動が抑制されるような仕組みが欲しい。
ところで…。
ロックした後のパスワードは、一体誰が解除するのだろう?


たった一言を伝えたいが為に、言葉を浪費する事がある。
無言を貫きたいが故に、言葉を消費する事もある。
恋愛とは、兎角むつかしい。


カミサン、兎に角よく何処かに体をぶつけ、痣を作っている。
カミサンだけかと思っていたら、子どもも何処かにぶつけたらしく痣を作っていた。
親子なんだねぇ。君達は!
しかし、見知らぬ人が穿ってみたら虐待に思わないか?と、内心オドオドしているのは、言うまでも無い。


〜〜6月1日の呟きより