もしも自分の言葉が鈍い光を放つ日本刀だったなら、切られた方も痛がらずに済むだろう。中途半端なナマクラだから、痛みを与えてしまう。
腕もさることながら刀も錆びてちゃ、ままならねぇ。
そう思いつつ、自分への、弔いの言葉を考えている。
「至誠」という言葉の解釈も倦ねている。
「至誠而不動者未之有也」
誠ってなんだろう?
「言は辛に口で、辛はきれめをつける刃物をあらわし、口は祝詞を収める器の形。」なのか!
道理で、人を切りつける訳だ。
知性を下さい。
その代わりに仁を差し上げます。もう空かも知れませんが…。
〜〜4月21日の呟きより