「悪いやつ」と決めた時点で、正義は存在意義を失う。
正義ってのは錦の御旗。振り翳したと同時に消失するもの。
正義の向かう先は、徹頭徹尾の“理想”。それは実を伴っていないファンタジーの様。だからこそ良い。正義を形作るベクトルは、あくまでも理想に向けるものであって、その逆があってはならない。その逆とは”振り翳す”事であり、理想に対する反逆でもあるのだから。
理想とは「実を伴っていないファンタジー」。
大多数が生み出す意識の中で小異はあれど大同を為すもの。大多数と対峙するものが目指す“理想”というのは“利己主義”と同意語であり、大同に基づく理想と異なる。
正義を貫く為、個人が何かを滅する事があるとしたら、それはきっと私欲。理想に対峙するのも私欲。個人の思惑。…とするならば、個人個人の思惑は、善悪で捉えるべきもの?
なれど、善(≒正義)の反対は別の善であって、悪では無い。
正義は理想の中(≠上)に成り立ち、善悪の基準は古今東西、人との係わりによって上下左右にブレ続ける。芯がブレているから、人は理想を求め目指す。
個人個人の思惑は善悪で捉えるべきものか?
常日頃から善悪に基づいて行動している人がどれだけ居るのか、分からない。
ただ言えるのは、善悪の基準は少数が誘導し大多数の賛成を得て、いとも簡単に変わるということ。そんなにもブレ続ける基準を用いて個人個人の思惑をはかるのは、とてもむつかしい。
〜〜5月19日の呟きより