思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

寿命が何故あるのか?

細胞には、その分裂回数を決める数値、つまり寿命が組み込まれているといいますね。だからいつか分裂回数の上限に達し、最後の細胞が動かなくなった時、寿命を迎える。
でも個々の細胞に関してはそうであっても、遺伝子レベルなら子孫を残せる(可能性もある)訳で、細胞が宿っている個体における命の終焉と、遺伝子レベルでの終息はイコールじゃない。

ならば、命は連続しているのか?といえば、個における生命体には終焉がある訳で、生まれてから死ぬまでが寿命と言えば、寿命なのだろう。
でもそれって、何処かで区切りをつけたがっている、周囲の見方なのではなかろうか?
生命体に限らず、一個体はいつか終焉を迎える。個体レベルでみれば寿命が尽きたとも言える。生命体における遺伝子、あるいは無機質体におけるスペアなど、集合体で見ると寿命を継続させる事もできる。

話しの収集がつかなくなりそうだな。個体、それも人間に限る、か。
個人の寿命が尽きた時、それは個人から故人に変わる時なのだろう。でも細胞レベルじゃ、まだ生きている部分もあるんだよな。。。この際細胞は無視したとして、心はどうだろう?

心は個人の中にだけあるのだろうか?仮に個人の中、特に脳=心とするならば、脳細胞の終焉=心の寿命だろう。けれど脳≠心なら、心の寿命は誰が決めるのだろうね? 記憶? 記憶であるなら、個人(この場合は故人だね)に対する周囲の記憶もある訳で、その寿命は故人を知りうる者達全ての記憶から、個人に関する事が失われた時なのだろうか?

混乱してきた…。もう少し、考えてみよう。


〜〜11月2日の呟きより