幸せに「なる」と言う表現に馴染めないのは、「感じる」ことが出来るからなのか?
それとも単なる、やっかみか?
幸せになれるとしたら、その次は、何を求めるのだろう?
何も求めないのだろうか?
おぎゃあ!と生まれ来てなやかんややったところで、ゴールが天国と地獄の二択なんて、なんて!詰まらない。
日常ってのは綱渡りの連続なのに、たまたま落ちないだけなのに、それが永遠に続いてしまう錯覚に陥るのは、何故だろう?
明日ってのは、向こうから来るのか、此方から行くのか?
どっちだ?
〜〜9月10日の呟きより