死を願う人ほど他者の願いに敏感で、自分の死は認めて貰いたいのに、他者の死を認める事は譲れない。
詰まる所それは、死の重みを理解しているからなのか?それとも感傷ゆえか?
此の世に来てから刻が経ち過ぎた所為か、何をしに来たのか?とんと思い出せない。
そんなもんかな?
そんなもんさな。
生きるのに「理由」は必要、ですか?
心の暗部と思考の闇。
どちらが抜け出せないか?
仮に、今!心臓がその働きを放棄したとして、何か困るのは自分より家族の方なんだよな。
生きるって、誰かの為の、えんたぁていんめんと?
心に棲む邪な者達。
飼い慣らしたのか、飼い慣らされたのか?
〜〜10月8日の呟きより