今、たった今、自ら命を断とうとしている者に、なんて声をかける?かけられる?
自死を望む者の、
その死を止めたいのか?
その生を繋ぎたいのか?
問い掛けて、いる。
自分に。
友達なら、どうする?
知人なら、どうする?
見知らぬ人なら、どうする?
逝きたいのなら、逝かせてもいいと思う。
と、同時に、
生きたいのだろうから、生きて欲しいとも思う。
何しろ、片道切符だ。
彼の世の話をしても、なーっ。
信じるか否か、と、なってしまうのがオチ。
人としての人生を終えたところで、続きはある。
…でも此れは彼の世のお話。
肝心なのは、今世よ。
今よ!今!
今、此処から消えたい命に、今日を終えたい命に明日を説いたところで、現実はあまりにも軽い。
あゝ、自分は「生を繋ぎたい」のか…。
明日を見せられないのは、大人の責任。
まーなー。
大人とて、明日を見ちゃいないのだけども。(-。-;
何がしたい、ではなく、何をしたくない。。。なのか?
友を道連れにしてまで、死を求めるのは、きっと、生きたいから。
絶望の中にある希望。
“生きろ!”と言うのは、あまりにも無責任で。
“生きて!”と願うのは、あまりにも独善的で。
ほどほどが、とてもむずかしい。
〜〜7月4日の呟きより