「一つの事象(=事実)に対し、真実は其の事象を見た人の数だけある」と思っています。
だから、とある事象を上から見下ろしたり、下から見上げたり、斜めに見たり、振り返ってみたり、鏡に映して見たり、誰かが切り取った映像を通してみたり、誰かの言葉を通して聴いたり…。
其れらの分だけ、真実が増えてしまふのではないのかと。
もしも、もしも真実が「人として、人であるためのもの。」ならば。
其れは、"本来は"共通認識であるべきモノ。
されど、時代と共に変わり行く一つの認識。
事象は一つ。
モノの見方は、人の数だけある。
僕は「相手の視点(に伴う真実)もまた、一つの見方に過ぎない」と、思ふのです。