思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

至誠の姿勢

懸命に生きるのだけが素晴らしいことなんだろうか?
ただ生きることにだって意義はある。僕はそう思う。

で。「至誠」だよ。
誠意を尽くしても事態の打開が図れない状況だってあるだろう?
誠意を尽くして神仏に祈ると事態は好転する?そうじゃないよね!?結局は人と人との問題、人同士のぶつかり合い。誠意を尽くし懸命に話し合ったところで、古今東西武力衝突は起きているのも事実。
むつかしいな。

「成は戈(ほこ)にたれ紐を示すl(こん)を加えたもので、制作が終わってお祓いをすること」なのか。

も一つ。
「「誠」は誓約が成就すること」。ふ〜ん。

「誓約が成就する」に「至る」で至誠。
と言う事は、誓約を誰と(あるいは何と)交わすかで、何処に至るか(至らないか)が変わってくる訳か…。

そもそも…。
誓約を交わしていない相手に対し、至誠は成り立たないような気が…???

つまるところ「誓約を誰と交わすか」に尽きるのかも知れないな。→「至誠」
人か?神仏か?あるいは他の者達か?
とすると、交わす相手の胸三寸で、成就も変わるのだろう。絶対的な指針では無く、相手に委ねる相対的な(しかも揺らぐ可能性のある)指針な訳か…。誠は真に不可解。

少し?斜めに見ていたかも知れないな→「至誠」。
信ずる相手と“何か”を交わし、成し遂げる(=た)筋道が至誠なのだろうから、もしその道理が通らないとしたら、約定そのものよりも信じた相手(側)の問題なんだろうね。きっとね。


〜〜4月22日の呟きより