時折、心が何かに圧し潰されそうになるけれど、その何かの正体は自分の強いて言えば理想像で、圧し潰される側は、理想からほど遠い自分。
…なのだろうな。
メンタルがおぼろ豆腐並みになっている。
こちら側。
あちら側。
大きな溝。
とてもとても深い溝。
考えがループになっている。
判っちゃいるんだ、判っちゃ。
何だろう?この得体の知れぬ不安感…と思っていたら、何のことはない。過去にもあったよ、この感じ。
そう、登り詰めていた瞬間に足場を外される感触。それにそっくりだ。
スイッチオフ。
スイッチオフ。
スイッチオフ。
今は息抜き。
スイッチオフ。
力が欲しい。
知恵が欲しい。
自分の為じゃなく。
誰かの為でもないけれど…、いや、誰かの為になるのなら、ささやかでもなるのなら…。
どうしても、何をどうやっても手放せないものって、何だろう?
物じゃなく、記憶の断捨離が出来たなら、少しは気楽になれるかな?
頭を下げ、頭を垂れる。
垂れた先に見えるのは、他所様の足元じゃなく、自分の膝元。
危うくないか? ←ジブン
脆くないか? ←ジブン
奢ってないか? ←ジブン
現在と言う名の今日を手放したら、未来と言う名の明日が見えるかも。
心が鎖で縛られている…ような気がしているのだけど、実はその手鎖を握っているのは、当の心だったりして?(;'∀')
地団駄踏んでも為るようにしか為らんし、達観しても為らないものは為らんし。
謝る事と。
赦す事と。
どちらをど〜こ〜比較するのは変だけど、どちらかを優先してしまう自分が居る。
「ゆるせない!」ことって、どれくらいあるのだろう。
自分がどうあるべきか?…なんて然程も重要ではない。
どう生きるかなんて、風の前の塵に同じ。
どう生かされるかなんてのは、生かしている誰かの思惑でしかなく。
ただ飄々と。それだけでいいのかも知れない。
本当に手元に残したいモノって、とっても少ないと思うのさ。
何しろ、両の手しかないのだから。持てるものは、手と背と肩、それに頭か。
〜〜11月27日の呟きより