思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

待つわ無私

珈琲、胡麻煎餅、旨し。
これを“幸せ”と言わずして、何を求める?

幸せに大小なんてないんだよ。
あるとしたら、決めているのはきっと“心”。
幸せと感じるのも、不幸せと思うのも“心”。

三十代で家建てて、車やバイクを買って乗り回し、上を上を目指せ!…と呪文のように呟いていたけれど、さ。
借金膨らんだ会社畳んで、手放したよ家も土地も。
鬱になった、さ。生きている実感も薄れた、さ。
上を目指した意味を失った、さ。
でも生きているんだよね、不思議と。本当に不思議と。

いつ死んでも構わない。今消えても困らない(←ジブンは)。
だから、生きている意味を知りたいと、生きる目的を作らねば!と考えた事も、そりゃあったけど、さ。
今じゃ、そんな事さえも、ち〜っぽけな事と感じている。
ちっぽけ過ぎて、くしゃみが出らぁ(笑)。

脳は心は消えたいと願っても、自分の意志一つ、命令一つで心臓を、臓器を、生命活動を自在に止められないのなら、身体は生きたいのだろ?
腹が減りぁ喰らうし、うんこだってする。身体は活動しているよ。日々健気な程!に。
焦らなくても、いつか、身体の方が“生”を飽きるだろう。それまで待つさ。


〜〜6月4日の呟きより