思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

2月23日の呟き

さてさて、行動開始。
布団の誘惑も、これまでさ。

今朝も燦々、おはようございます。
陽射しは着実に暖かくなっている様な感じですね。そろそろ三月。暑さ寒さも彼岸までですから、この寒さもあとひと月あるかないか…。そう考えると冬も名残惜しいですよ…ね?
そんなこんなで、今日も一日ぼちぼちです。

さてっと、出掛ける準備。

帰宅した。
現場が近いのもあるけれど、トラブルの割には早く上がれたな。
いよいよプロジェクトも大詰め。週明けで終わりさ。

早く帰って来れたのだからと、件の眩暈で近くの総合病院のHPを見たら、午前中しか外来の受付をしてないし、土曜日は隔週。
それならと近くの耳鼻咽喉科を受診しようかと切り替えるも、こちらは18時半頃の診察だ。だったら明日一番で駆け込んだ方がイイじゃん!って事で、今はゴロゴロ。

さて夕食♪

週間天気予報では、この先の最低気温が氷点下になる事はないらしい。
寒さのピークは越えた感あり。

これからは、花粉との闘い。
無駄な抵抗を試みる日々に突入。。。

言葉の受け手として考える。
全く同じ言葉でも、前後の脈絡で全く違う意味に捉える事もあるし、また、イントネーションの違いだけでも、受け取り方は変わってくる。体調や精神状態、送り手との関係性…。
毒にも棘にも薬にもなる。
まっこと、言葉ってやつは受け取り方さえ、むっつかしい!

近頃、鏡に映る自分に違和感を覚える事が多い。
別段高い理想がある訳では無い。
ただ…。
日々老けて行く自分の外面と、記憶にある自分の若さとのギャップが大きくなっているのだ。

他所様は他所様なれど…。
人ってのは、幾つくらいから「自分の老い」を認識するのかね?

人は鏡や映像を通してしか、自分の顔を知りえない。
顔は他人の為にあるアイコン。
今の自分は「草臥れたオッサン」と言うアイコン。

「自分の事は自分でする」のが出来ない事もあるし、そうでも無い時もある。
何でも自分でやる!だけが良い事でも無いのかも知れないな。

独りでに産まれて、独りでに消える。
誰にも関わらず、、、なんてことある筈も無く。

生きてりゃ、多かれ少なかれ、誰かに迷惑を掛けるもの。
それを「お互い様」とみなせるか否か。
それが社会の懐じゃないの?

おやすみ地球。
いつも、ありがとう。


〜〜2月23日の呟きより