理解のない人は、理解「したくない」のか、単に「出来ない」のか?
という疑問。
群れる事で自らの意見を正当化する他所様が、単純に嫌い。
誰かの名を借りて、実行力を行使する他所様も、嫌い。
手のひらをコロコロ返す他所様も、嫌い。
こうしてみると、嫌いな者達って案外と多そうだな。
ただの一意見を、あたかも「真理」の様に語る他所様が居る。
私とは相容れない人々。
意見は多様。
世界も多様。
多様性を認める以上、共存はある。しかし、共栄は無い。
去る人、来る人、忘れる人。
ネットは島々。
住みやすさは、人それぞれ。
「憎しみ」と「嫌い」なのは違うのに、よく混同する者がいるのは器の問題?
幸せは、なろうとしてなれるもので無く。
なれど、慣れると忘れてしまうもの。
「上から目線」が気に入らない人は、「下から目線」なら喜ぶのか知らん?
何と言うか…、下衆。
人との関係だって、「こんにちは、ありがとう、さようなら」。
これだけでも出来れば、上出来でしょう?
なんで人は集団になるほど、厚顔無恥になるのでしょうね。
そう考えると、一人の"単位"ってとても重要なのでは?
〜〜7月13日の呟きより