思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

11月5日の呟き

おやすみ地球。
此の世を去る魂全てに安らぎを。

おはようございます。
すっかり秋空の静岡です。今日は昨日ほど気温が上がらないらしく、9時半の時点で15℃台。寒くなりましたね。
昨夜というか未明と言うか久しぶりに殆ど寝られず、首は痛いし肩は凝るしで散々。それでも一日は始まるのですね。
そんなこんなで、今日も一日ぼちぼちです。

珈琲が冷えた。
季節の味わいってやつだね。

やはり寒いのだな。今日は。
陽射しの当たっている部屋に居たから暖かいと思っていたが、北側の部屋に居ると徐々に指先が冷たくなってくる。暖房を入れる程じゃないけれど、肌寒い。もう一枚重ね着をする程でもない。微妙な室温。

あれ?

眠い。
昨夜寝れなかった分、余計に眠いのか?
寝よ。

ドン底のドンッて音が、聴こえるような気がする。
このまま絶えてしまおうか? そんな言葉が脳裏をよぎる。
…頓服飲もう。

寒い…。風邪ひいたかな?

今日は旧暦九月十七日。
お月さんは立待月。


〜〜11月5日の呟きより

砂の城

死を目の前にして、足掻く人と、受け入れる人。
その差は何処にあるのか?

望む死と望まない死と。
望む生と望まない生と。

砂時計。
人生が砂時計なら?
倒れてしまうのが仮死で。
割ってしまうのが自死で。
割られてしまうのが他死で。
ん?

砂時計か…。
人生っての。上半分が見えない砂時計なのだろうな。
残りが見えないからと、焦る者。構える者。無視する者。
積み重なった砂を見て、耽る者。逸らす者。思う者。
んん?

砂時計、ね…。
一粒の砂に一粒の思い出。
一粒の重み。一粒の軽さ。
んんん?

いつ終えてもいい。
…ってのは、いつまで続いてもいい、に、近いのかな?


〜〜11月5日の呟きより

コトバ・ツカイ

言葉を使う者が、言葉を見失っている。
今、が、そう。

私は、また!
大切なモノを失うのだな。きっと。

言葉の限界って…。
分かっちゃいるけれど、言葉の限界ってあるよな。
伝えたいけれど、伝えきれないもどかしさ。
受け取りたいけれど、受け取り切れないやるせなさ。
それは、想いの限界でもあるのだろうか?

言葉のキャッチボール。
送り手が思いの丈を100%言語化したとしても、受け手が100%取ってくれる保証なんて何処にも無いし。まして受け取った言葉を100%理解できるとも思えない。
曖昧な隙間は、そこに必ず存在する。
言葉の歯車がかみ合わない様に、心の歯車も、また。


〜〜11月5日の呟きより