思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

自主避難

2011年3月11日の事。
この日は14時40分頃に休憩を取り、仕事部屋を離れた。

FM 79.5を流しながら珈琲をすすり、一息していたのだが、48、9分頃だったか、止まっている筈のサーキュレータがカタカタ音をたて始め、やがて、体感して判るくらいの大きな揺れが、家を襲った。

中越地震の時にも体感した事の無い揺れが更に酷くなり、リビングの家具が振り子のように踊る。
家具の上に取り付けてある転倒防止の突っ張り棒が撓り始めた時、初めて身の危険を感じた。

揺れる家具を抑え続ける中、小林克也氏が「地震・・・」と言った直後、ラジオは切れ、更に揺れは増し、何かが崩れ落ちる物音が響く。食器棚の皿は踊り、今にも飛び出しそうだ。

長い、長い時間に感じたが、やがて揺れも小さくなって来た。

震源地と被害情報を求め、TVかラジオからの情報を欲しかったけれど、停電の所為もありIP電話やネットは沈黙している。
元々電波の弱い携帯ワンセグは諦めざるを得ず、情報は完全に途絶えた。

揺れは小さくなり、心なしか落ち着いたのだが、周囲は、街から人が居なくなったように静かだった。


この時僕は、小さい揺れが依然として続いていた事に加え、A市から小林克也氏が居るであろう銀座スタジオまでの揺れが伝わる時間を考慮して、少なくとも震源地が関東では無さそうな事だけは判っていた。

まだ余震と揺れは続いていたのだが、逃げるか、留まるか決断するため、家の躯体を確かめる。

各部屋を周り、被害状況を確かめた時、仕事部屋の被害が大きい事に驚いた。
本棚の上に乗せてあった機材は床に散乱して壊れ、倒れた本棚がパソコンやIT機器を直撃。
あまりの混乱状況が、バックアップも含め仕事のデータが全て消えた事を物語っていた。


結局、家の躯体に問題はなかったのだが、あまりの散乱状態に、箱根の山を越え、関東から離れる事を決意していた。