思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

ふとした疑問。

誰かが苦境を告げるまで、その誰かの周囲の人は何も察知出来ないのかな?
察知してても、手を拱いていないのかな?
自分に災いが降りかかるから?
関わりたくないから?
煩わしいから?

手を差し伸べないのは、何故だろう?

ネットは「匿名だから卑怯だ!」と言う声が、時折メディアから流れて来る。。。けどさ!
プロトコルを合わせないのは、どうなのだろう??

手紙に手紙で応えない。
口語に口語で応えない。
一人に一人で対応しない。

そりゃ、諸事情で応えられない事情も中にはあるだろう。
でも大抵はね、と思う。

メディアは反論する機会を、受け手側に開放しているだろうか?
政府は、数多くの声を受けられる場を、用意しているだろうか?
匿名の告発を、実名で暴くことは絶対に無い!と、言い切れるだろうか?

匿名の本音。
個人的には、如何なモノかな?とは思う。
けれど、機会を奪うのは下衆の極み。

目には目を。
歯には歯を。
言葉には言葉を。
ペンにはペンの力が。
電波には電波の力が。
言葉には言葉の力が。
…あるのさ。

だからこそ、使い方を学び、正す。「機会」が必要だと。思う訳よ。
だからこそ、一部の過激な行動が起こる度、その「機会」自体を非難するのってお門違いと思うの。

誰かが苦しみ続ける。
その結果が、さらなる悲劇につながる前に、行動、出来ないものかなぁ??
と。

人が亡くなってからあれやこれや「意見表明」する者達を見聞きする度、なんかモヤモヤするのよね。

ご意見。
いつでも、お待ちしておりまする。


~~5月24日の呟きより