死にたい、というか。
消えたい、というか。
居なくなりたい、というか。
人間でいたくない、というか。
人でありたくない、というか。
とにかく。
重力に縛られた存在から脱したい。
…という“消滅系”の感情を抱えたのは明確にいつだったのか思い出せないが、少なくとも四半世紀は超えている。
肉体の老いとともにそれらの感情に囚われることが少なくなったのは、確実に『生きてきた歳月>この先も息し続ける年月』となったからで。
無駄に息をし続けている感はあるけども。
焦りを覚える機会は、確実に減った。
死も生も。
所詮、変遷の一つ。
囚われず。惑わされず。
~9月28日のスレッズより