生きてりゃ死んだ時のことを考え、死ねば生きている時のことを思い出す。
そーゆーものでしょ?
人なんて。
思い出して見れば、誰かが逝った時(例えばそれが親だったり、友だったり、一緒に過ごしたペットだったり…)取り乱したことが無かったのは、彼の世の存在を知っている(≠信じている)からなのだろうな。
死イコール無だとしても、それはそれで良い。
むしろ転生なんか(←あるとしても)途絶えてしまった方が、良い気がするのよ。
死は、さ。状態の変化でしょ?単なる。
まぁ蘇生は、ほぼほぼ無いから、変化は一方通行だとしても。
ありとあらゆるものが、いつかはかわる。し、なくなる、し。
それらに抗う、その理由の方が不可解。
行き続ける。
息続ける。
生き続ける。
逝き続ける。
続くのだよ。
状態が変化するだけで。
有から無に。
無から有に。
状態は変化する。
もしも時が止まったら?
それが、真の無なのかも。
此の世で、時は不可逆。
あの時は良かった?!
あの頃は凄かった?!
それは、昔。
遠い、昔。
でも、いつか来た道。
そして、行かぬ道。
いいじゃない?
風の赴くまま舵を切り、時を過ごしたって。
いいんじゃないのかな?
12月14日の呟きより