キミが自分の命を縮める。それがキミの判断なら、まぁ、しゃーないわ。
けれど、私と話す時間を少しでも増やし続けてくれるなら、それは私にとっての救いなのかも知れない…と思うようになった。
「救い」の正体は、依然として分からないけどね。
救われたい人が居る…のは知っている。
一つ伺いたいのは「誰に?」救われたいのか?
もしも救いの手が神様のものだとしたら、それは神様を信じているから?
もしも救いの手が悪魔のものだとしたら、それは破壊を望んでいるから?
もしも救いの手が人間のものだとしたら、それは共感を得たいから?
誰も信じない人は、何に救われたいのだろう?
~~2月20日の呟きより