思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

社々会々

ある、ものを、ある、という状態で認識しているのは、まだいい。
ある、ものを、ない、という状態で思い込んでいたり。
ない、ものを、ある、という状態で思い込んでいたり、と。
思い込みは、疑えないものなのか?
基本的人権を永久に保障すると謳う国が、その基本的人権の平等権を蔑ろにしているのが実情で。
例えば。
『性別に伴う不利益があることが基本的人権を尊重していないのと同義である』、という前提で法律や仕組みを作れないのだろうか?

ある、ものを、ある、という状態で認知しているなら、とてもいい。
でも。
よくあるコップに水の話で。
コップの中に、半分入った水がある。
その水を見て、
半分しか、とか。
半分も、とか。
「しか」や「も」はバイアス。ただのバイアス。
正しいものの見方は、半分の水がある。それだけ。
だから。
女性だから、男性だから、心と体の性が違うから…、じゃなくて。
人として。
ただの人として、平等に見るってことは、出来ないのだろうか?

心と体の性が不一致の人が、トイレや風呂の問題で困っているのなら。
そういった方が利用できる施設を新たに作れば良いだけのお話。
既存の仕組みに合わないのなら、仕組みそのものを作り直せばいいだけ。

社会なんて、過去から未来永劫同じ…な訳じゃないのだから。
困っている人の側に立って、困りごとを解決するのが、基本的人権の尊重だろう。


~12月2日のスレッズより