思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

記録の上では、

昭和の四十年代に都心を走る蒸気機関車は無かったはずだが。
見た、記憶がある。
あれが、地方へ輸送中の車両だったかどうかは分からない。
脳裏の一コマ。

三丁目の夕日という映画。
三分の一くらいしか観てないんだよな。
空の描写に違和感がありすぎて。
記憶の空は、もっと薄汚い。

まぁ。
記憶なんてのは、いっくらでも改竄されるものだから。記憶しているからと言って、全てが正しい訳でもない。
だから。
もしも正しさが記憶に基づくものならば、それは正しくないってのが正解。

仏教徒の家で育ち。
まぁ、概略くらいは知っている程度のボンクラ信者の自分。
加えて。
神様や仏様の存在を信じるか?と言えば。信じる信じないか?なら信じて無いし。
居るか居ないか?なら科学的な証明はできないが、歴史上、(後に)神と呼ばれた男と、仏と呼ばれた者の存在は知っている程度で。
それでも。
仏教の考え方は興味深いし。よくもまぁ、あんなにも複雑怪奇なものを生み出したものだ、と関心する。
宗教との付き合い方なんてのは、人それぞれなのよ。

「わからない」物事はいくらでもあるけれど。
「わからない」と吐き捨てそこで対話を打ち切る人は、人間をやめているのかもな。
「わからない」
けれど、と。
「わからない」
だから、と。
埋まることのない、永遠の溝。

なんにもない
なんにもない
まったくなんにもない
うまれた
うまれた
なにが…
園山俊二氏作詞のこの曲を聴いてなかったら、今の私は全く違う存在だったろう。


~12月30日のスレッズより