たまに。
日本語として読み取れない、単なる文字列が流れてくるのだが。
そのヒトも、おそらくは日常生活を送っている訳で。
周りとのコミュニケーションは、どんな風に成立しているのか?
…と一瞬考え、やめた。
分からない人のことを分かりたい…と言う欲求は、とうの昔に無い。
話せば分かる…なんてのは、ただの妄言で、非論理。
分からなくても。
分かろうとしている人との会話は成立する。
分かっていても。
分かろうとしないヒトとは無理。
団塊の世代やその上の世代の方を見ていると。
つくづく『自ら調べ考える』ってことを、されて来なかった方が多いようで…。
同調ってのは、思考放棄なんだけどな。
規制の中の不自由を自由と勘違いしているのも、自ら考えることを放棄しているようにしか見えないが。
そう見せているのは、息するため…とか。
~5月26日のスレッズより