何かしらの気づきを得る。
それが、学習であれ科学であれ、神秘や宗教、スピリチュアルであれ。
何かしら自分にとって気づきとなることなら、それは是なのよ。
ただ。
気づいた立場になった時、気づかない人々を下に見る言動や行為は、さぁ。。。
人として、どうなのかしら?
言葉ってのは、感情だけじゃない。
思想、心情、社会との関わり合い諸々。
発する側が、投げ掛けられる相手との関係性をどのように捉えているのか?という事が、発した言葉に表れてしまうもの。
見知らぬ相手にふざけた言葉を投げつける人は、相手を愚弄して良い存在とみなしている訳で。
小さな子供に対し、子供が理解し得るように言葉を選んで話し掛けられる人は、どんな相手に対しても相手の方を尊重するだろう。
たかが言葉。
されど言葉。
人間は、どちら?
人間って、耳に痛いことを「言ってくれる」周囲の方々が居るうちが、一番人間らしくいられるのかもな…。
私の周りに「言ってくれる」方は、片手で数えられるほど。
憎まれようと罵詈を浴びようと、言っておきたい相手も減る一方。
まぁ伝えたところで、のちにそのことの意味が判る頃、私は存在しないのだが…。
利口な人に「利口だね」と言っても、利口な人がますます利口になる訳もなく。
おバカな人に「バカ」と言ったところで、バカから脱する訳もなく。
ってことを、自覚している人って、どれくらいいるのだろう?
人間、少ないからなー。
わかりやすい文と。
解る文章と。
使い分けは、人それぞれ。
読み取れてないと感じた時は、まぁ、こっちの読み違いな訳だから素直に白旗。
…が、再挑戦はしない。
時間は有限だもの。
~6月19日のスレッズより