鬱が酷くなくなって変わったことは、死ぬの生きるのがど~でもよくなったことだろう。
早晩、皆死ぬの。でもきっと1秒後は生きてるの。
1分後も生きてるかも知れないの。でも死ぬかも知れないの。
1時間後は、さて、どうだろう?
さらに、1日経ったらどうなるか?
…てなことさえ、ど~でもよく。
焦ったって、消えられないし。
のんびりしてたって、いつか旅立つし。
さらば~地球よ~♪ってね。
めんどくせぇなぁ。生きるってのは。
とってもめんどうだなぁ。死ぬるってのは。
息するのさえめんどうなのに、止めるとアップアップするのが、とても滑稽。
そっか!
ど~でもよくなったのはきっと、自分をどうこうしたい!という僅かな望みさえも無くなったからなのかも。
責めるのもアホらしいし、護るのもバカらしいし。
うだうだ反省したところで、過去は過去。
ごにょごにょ用意したところで、未来は出たとこ勝負。
結局、お釈迦様の手のひらでしょ?
キミへの執着を棄てた時、ジブンも一緒に捨てたのかもな。
「楽」って何だろうね?
無責任とは、違うよな。
「苦」って何だろうね?
義務感とも、違うよな。
理想という名の偶像を手放したら、現実という名の浮世を手に入れた。
チャカララッタラッタッタラ~♪
~~3月14日の呟きより