他人任せの者達の多さを利用するのは、何も権力者だけじゃない。
…と思いますの。
「マスゴミ」と言う人達が居るのは知っている。
で。
メディアを嫌うが故に関わらない。
関わらないが故、関わる者達の多くかそのメディアを支持していることにならないか?
正すべき者が関わらない。
…が故、正される側が正されない。
と言う、悪循環。
意識を変える、変えられるのは、結局誰さ?
封建時代じゃあるまいし、いつまでも、何事も、一握りの者達に任せて良い…のかね?
声なき声を拾う者ってのは、圧倒的に少数派、じゃ無いのか知らん?
政に関わらない。
それは、個人の自由意志。
関わるのもまた、個人意志。
ただ、さ。
関わらないのなら、全てにおいて沈黙しているのと、同じじゃないのかな?
諦めるから、何も変えられない。酷くなっても…。
おっさんは、そう、思うのさ。
そうだ!
今日は投票日じゃないの!
投票率が一番気になる。
無関心は沈黙と同じに扱われる。そう言う仕組み。
数の論理を是とする方法には異論もあるけれど、今はそう言う仕組みなの。
今の世の是非を握るのは、今日だけは、全ての国民。
「悲しみを怒りに変えて、立てよ!国民よ!」ってね。
メディアは視聴者を聴視者を読者を追う。
支持する者達"だけ"を、金を産む者達"だけ"を是としてね。
批判の声など、金の前には無力さ。
結局、世は金なのね。
悪魔は、うまいものを発明したものだ。
金と言う仕組み、を。
不寛容な世の中を嘆いたところで、何も変えられないが。
じゃあ、自分は寛容なのか?と自問すると、答えは出る。
自身が不寛容なのだ。周りだって、きっとそう。きっと。
テレビ各局、選挙報道をしているのだが、普段は政治に関するニュースって、そんなに多くないよね?
気のせいかな?
~~7月21日の呟きより