なーんにも「できない」と。
ここに呟く人を時折見るけれど。
「できない」ってのは、できている状態を分かっているのよ。
何をやり、何がやれないか?分かっている。
その区別が『できている』…のに、「できない」と壁を作る。
二度目の鬱になる前、多くのことを同時並行にこなせていた。
鬱が酷い時は、一つのことさえ、できなかった。
そして今。
並行作業は、やっていない。
今の仕事である保守や、休日の車のメンテ。
効率だけを考えたら、道具や品を変えて、先へ先へと進め、終えたら全部片付けるのが良いのだろう。
でも、あえてそれをしていない。
一つの機器を出し、一つの道具を出し、一つのことをし、それを終えたら、即、道具を片す。
また別の工程で使うとしても、道具を片付ける。
出し入れが多い分、時間はかかるし効率は落ちる。
その代わり。
いつ何時でも中断ができる、という利点があって。
すぐ中断できるから、トイレも行けるし、雨で打ち切りもできるし、食事もとれる。
そして何より、中断したところが簡単に把握できる。
何かをやっている時に中断して、別なことをやり、また元のことを再開するのって、素早く簡単に取り掛かれる人って、少ないような気がする。
中断と再開が簡単ってのは、確かに手間は掛かるのだけど。
私にとっては、酷い鬱でも物事を進められる手法の一つとして適していた。
片付けが苦手な時でも。
使い終えたら、即、片付けるのはできたから。
何度も使う道具でも、一つ終えるたびに仕舞い、新たなことをする時に出し、新たなことを終えたら即仕舞い…ってのはできた。
まとめて、いろんなことをいっぺんにやれなくても。
時間は掛かるけれど、一つ一つのことができるのなら、一つ一つを確実にやっていれば、なんとかなるもんさ。
~~6月12日の呟きより