思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

此処最近の、『輪廻』に対する僕の考え。

フラクタルを思ひ浮かべながら、「一個体の人間も"輪廻の環"の縮図なのでは?」と考えた時に浮かんだコトですが…。

 一個体の人間が"輪廻の環"で、
 僕らの存在は、人間の細胞の一つ。
 ミトコンドリアや白血球みたいな存在。

人間やその他の生物の中には、有益な白血球も居れば、中には悪さをする癌細胞も居る。
生命活動に不可欠な細胞もあれば、無くても然程困らない髪の毛のような存在も在る。

此れら細胞が全て一塊に集まって一人の人間と言ふ生命体を形作り、意思をもって行動している。
でも、一個一個の細胞には、一人の人間としての代表権はなく、個々の役目に徹するのみ。
しかも!
中には、役目を放棄して癌化するモノも居たりする。

死に行く細胞と、生まれ来る細胞。入れ替わって、立ち代って…。
体毛の末端に生まれた細胞も、次は筋肉、その次は内臓、その次は神経と生まれ変わり、やがて、思考を担う脳へと近づくのかも知れない。

此のよう考えると、彼の世と此の世の縮図が、人間の身体の中にあるように見えませんか?(笑)

だから。
たかだが末端の一細胞が、「何ゆえ、因果律の仕組みの中で、生きなきゃいけないのだ?」と思ったところで、その枠から外れる事は不可!!

もしも。
もしも、枠から外れるコトが出来るとすれば、其れは、完全な消滅を意味するコトでしょう。

僕らや、地球や月、太陽、銀河、宇宙。
此の世も彼の世もみんな、とてつもなく大きな、永遠の輪廻の輪の中にある存在。

とっても不思議で、とても身近な存在なんですけどね〜。
大雑把な比喩で説明出来たからと言って、今日の糧にさえも役立たないけどね(苦笑)。