思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

鬱。

10年前の自分に会えたら、きっと「莫迦だな」と呟く。
20年前の自分に会えたら、やはり「莫迦だな」と呟く。
30年前の自分に会えたら、ほら!「莫迦だな」と呟く。

ゆえ。
10年後の自分が今の自分を見たら「莫迦だな」と言うだろう。
つまり私は、ただの莫迦ってことだな。
きっとな。

鬱が酷かった時と、今とで何が違うのかな?と、ぼんやり考えていた。
多分、、、
「(治れば)何とかなる!」、「(治すように)何とかしなきゃ!」と言うのが酷かった時期で。
「無理、無理、(治るなんて)きっと無理」とか、「そんなものよ(鬱ってのは)」と言うのが、今の時期…なのかな?

(治らないと)諦め半分、(元通りになるという願望を)手放したのが半分。
目指せ!飄々。
今日も、ぼちぼち。

良かった思い出もある、さ。
悔しかった思いもある、さ。
執着するのも、自分なら。
手放すのも、自分な訳で。
ハッキリしているのは。
過去を手放したからって、今の自分に変わりないってこと。
それだけ。

明日を夢想するほど、若くない。
老いを絶望するほど、でもない。
とりあえず。
脳は動いているし。
心臓は止まらないようだし。
体もそれなりに動くし。
ぼちぼち、付き合うしかないのだろうな。
いろいろと。いろいろさ。

病気や怪我や老いや諸々の事情で。
昨日出来たことが、今日出来なくなる。
その状態を受け入れられるか、否か。
受け入れないことで、何を得るのか?
受け入れることで、何を手放すのか?
いや…。
そもそも、「得る」とか、「手放す」とか…。
そういうものじゃない。
そんな気がするな。

体験した(というか、している)身なんだけど。
ホント~に!酷い時は、食事を摂るのも無理で、風呂だって入らなくて良くって、トイレだって行くのもやっとで。
もちろん!これら以上に酷い症状の人も知っているけれど、なんでそこまでの症状になってしまったのか?それが分からない。

追い詰めていた。それは覚えている。
追い払おうとした。それも覚えている。
いつから「ぼちぼち」と言うように“した”のだっけ?
…思い出せない。←調べる気、無し

朝の挨拶?で「ぼちぼち」と呟き始めたのは2015年。
何があったのだろう?

口癖になったのは2012年頃から。
となると、「ぼちぼち」と自分に言い聞かせ続け、挨拶に昇華するまで3年。
3年もあれば、人は変われるのかもなぁ…。


~~1月13日の呟きより