思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

短呵

健康の有難さって、病に倒れてから感じるもの。
それは、体も心もおんなじで。
でも、倒れないと、人は気づかない。
そして治ると、コロッと忘れてしまう。
なんと都合よく出来ているのだろう。

病気への理解って、さ。
結局は、自分が罹患しないと分からない。
そんな気さえするのよね。

健康だったから、見えていた世界が、ある。
病んだから、見える世界も、ある。
どちらも自分なのになぁ…。

つまるところ。
人は、自分に都合の良い(あるいは悪い)世界しか、診てないのだろうね。きっとね。
誤字じゃないよ。「診てない」は意図的。

鬱が酷くなってから見えた世界を忘れて、診てなかった頃を思い出そうなんて、無理だろ?
心が健康な時に戻りたいってのは、きっと若い時に戻りたいってのと同じようなこと。
だから、淡々と息をする。心臓が「はい!おしまい」と呟くまで。


~~2019年12月31日の呟きより