手放すって、実はとっても難しいことなのだろう。
今更ながら、そう思う。
それが、大切(だと思って、い・た!)ものならば、尚のこと。
自分の“垢”を、根こそぎ削ぎ落とす。
残ったのは、自分か、それとも“垢”の方か?
鏡に映るのは、日々老いていく自分。
そして、脳内に留めている若き日の自分。
その差が、開き続けるのは、何処かで「今」を拒絶しているからなのか?
いつの頃から、人は、過去に生きるようになるのだろう?
自分も、いつか、そうなる…のだろうか?
未来は、一方通行じゃないのかも知れない。
「無」に憧れた時が、“あった”。
「存在を消したい」時が、”ある”。
自分とは何か、を探るため?
…ではなく。
自分ではない、何者かになるため?
…でもなく。
多分それは、きっと。
自分を受け入れられない、自分が“いる”から。
自分は、何処までいっても、自分でしかないのにさ。
~~1月1日の呟きより