思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

「ぼちぼち」です。

鬱を罹患している身で何ですけど。
病気っちゃ病気ですけど、体のそれとは違うのよね。
違うってことは、体の怪我や病気は見た目で!治り具合が判るけれど、心は見えないから、治ったのかどうなのか?判らないじゃない?
…というか、私は判りません。

何を言いたいか?というと。
心の病は、きっと「治す」じゃなくて、「向き合う」とか「付き合う」が近いのかな?と。
アナタは「双極性障害」ですと診断されたらと言って、対処療法はある程度決まっても、所詮は対処療法な訳で、根本的な治療ではないもの。
だから自分なりに受け入れて、心も病も、両方とも付き合うしかないのかな?と。

カテゴライズされてホッとする面もある。
けれど、それで御仕舞いじゃないし、対外的な言い訳でもないし。
もちろん!出来ないことはあるわよ。でも!出来ることもある訳で。
出来ないことは出来ないこととして、出来ることを出来る範囲でやる…方が良いと思いますの。

「出来ない!」と拒絶するのは、割と簡単だけど、も。
「やれる範囲で、やれるとこまで、やろう」くらいは、出来る。そんな気がして、さ。
無理する必要はないし。頑張らなくていいし。
ほどほどでいいから、やれるところだけやる。そのくらいで丁度いい気がしますの。心の病との付き合いは。さ。

「やれることなんて、出来ることなんてない!」と言う人、いるよね?きっと。
でもさ。息してるじゃない?それは凄いでしょ?
いろんな思惑が交錯しても、心臓が鼓動し続けることを許容しているでしょ?
良し悪しは別として、自分で止めることだって出来るのに。それをしない。

それって凄いことだと思いますの。
いつでも、旅立てる。けれど、今じゃないとも思う。
思うようにならない体と心を持って、なお、息して、此処に踏み留まるって、凄いこと。
だって、嫌でしょ?
ままならない心。ままならない体。ままならない周囲の環境。
ままならないことばかり。

でも息してる。
凄いと思いますの。私。

誰かが悲しむから旅立たないのだって、凄いこと。
だって、その誰かを思い遣れるのだから。
苦しいのが嫌だから実行しない。それも凄いこと。
だって、苦痛を“拒否する”のだって、エネルギーいるでしょ?
息している。
此処にいる。

それだけで、凄いと思いますもの。

いつでも旅立てる! 
 けれど、逝かない。
いつでも切れる!
 今は、切らない。
いつでも、終われる。
 それを、やらない。

それって、凄くないかなぁ??

お勧めはしないけど。。。
吐くのも、ODするのも、切ってしまうのも。
心を落ち着かせられるなら、それも、アリだと思いますの。
だって。
面倒だもの、生きるっての。
誰にも分かって貰えないことがあっても、誰にも言えないことがあっても!
それでも、生きてるのって、凄いわよ。間違いなく。

生きる。
生きてる。
生かされている。
生きながらえている。
いろいろ、あるわよね。
いろいろ、さ。
だから、ぼちぼち。
いつも、ぼちぼち。

心の病ってのは、きっと。
出来ないことの言い訳、じゃなくて。
今!やれることの再確認なのよ。
どれだけ、今の自分を受け入れられるか。
…じゃないのかな?どうかな?

かく言う私。
ポジティブなんて、く〇っ喰らえ!ですし。
ネガティブ万々歳!ですし。
光より闇。
神より魔物。
キラキラよりドロドロ。
それらが、愛おしくて狂おしくて惜しくて。
だって、それが人でしょ?
それでこそ、心でしょ?
だから。
建前なんて、〇そっ喰らえ!です。
それが私。

歯向かう時は、容赦なく。
逃げる時は、徹底的に。
休む時は休み。
眠い時は寝て。
病む時は病み。
腐る時は腐り。
やる時はやる。
そして。
やらない時は、とことんやらない。
それが私流の、鬱との付き合い方。
こう思えるようになって、幾分か気楽になったと思いますの。
…で、今がある。

「ぼちぼち」。
最強です。私にとって、この言葉は。
なんて!都合がよくて。
なんて!いかがわしい。w
だから。
「ぼちぼち」。
いつも。
「ぼちぼち」。


~~1月14日の呟きより