思考錯誤屋の呟き

「日々の事柄」を適宜更新中。

たわしのわたし

勢いで突き進められたのは、30歳辺りまで。
技量で押し進められたのは、40歳まで、か?
この辺りで、何もかも面倒になったのよ。
面倒になって。
面倒になって。
いつしか、自分を追い遣るのも、面倒になって。
生きなきゃいけない使命感なんてないけど、死にたい欲求を抱くのも、面倒になって。

「面倒」って、「ぼちぼち」並みに最強かも!
過去へ逃げ込むのも面倒。
未来をうっちゃるのも面倒。
今、息するのさえ面倒だけど、心臓は「ぼちぼち」波を打つ。
だから、「ぼちぼち」息をする。

「負けたら、ダメだ」
「負けちゃ、いけない」
「負けを、認めない」
「負ける訳に、いかない」
と、言い聞かせていた。
鬱に引き込まれつつある心を、必死に脳が留めていた。
それが、敗北だと、思っていたから。

「鬱」も自分。
「躁」も自分。
どちらも嫌がってい“た”のも自分。
嫌がるのって、疲れるのよね。

勝者は居ないのが、心の病。
だけど、敗者も居ない。

屈するのではなく。
抑え込むのでもなく。
摂り込まれるのでもなく。

ただ。
リセットボタンの、長押し。

いつか、再起動するまでの。

私はずっと、心の病に侵されていると思って“いた”。
でももしかしたら、心の病を冒している側が私なのかも、知れない。

何より、無垢な心なんて、持ち合わせちゃいないさ。
きっと、数々の記憶が澱のように溜まり切って、ドロドロだろう。
それらが塊り意思を持ち、心を攻撃している。
攻撃の陣頭指揮を執っているのは、きっと私自身。

消えようとしたのも、自分。
消そうとしたのも、自分。
被害者と加害者を併せ抱く。


~~1月15日の呟きより