「わからない」という言葉が嫌いだ。
嫌いと言うより、怒りの沸点が上がる。
「わからない」というのは拒否。絶対の拒否。
人であれ、事象であれ。「わからない」の一言で、それらの一切を拒絶する。
「わからない」は「わかろうとしない」と、ほぼ同一。
ただの思考停止であり強い拒否。それだけ。
そりゃ「わからない」ことばかりよ。此の世は。
だから知ろうとするし、調べようとするし、歩み寄ろうとする。
それらをした上での「わからない」だとしたら、それは判るし受け入れる。
何も行動を起こさず、感情のままに反射的に「わからない」と言う。その行為が嫌いだ。
歳と共に、沸点が下がってきたのかもなぁ。
~~8月14日の呟きより