ChatGPTから適切な返事をもらう方法や、AIによる作画で狙い通りの指示を出す方法の解説記事を時折見かける。
中身は、ほぼ一緒。
検索エンジンを使って、知りたいことを見つける時も同じで。
目的の物事に近い語彙を、どれだけ多く並べられるか。
それだけ。
つまるところ。
(言葉を)学ばない者は、望む解に触れることも出来ない。
科学技術が発達しようがしまいが、基本は不変で普遍。
言葉ってのは、何も文字を並べることばかりじゃなく。
肉体や音楽や映像。
何かを伝える手段になるものなら、なんでもアリなのよ。
語彙が少ないなら、それこそボディランゲージで補うとか。
いっくらでも手段はある。
だから。
会話が少ないから(親子なり夫婦なり)の関係が冷めたり壊れたりってのは、言葉による会話のないことが問題なんじゃなくて。
それ以前なのよね。
自分の子供の頃を思い出すと。世界の全てが新鮮で謎めいていて。知らないことを分からないことを、知りたくて分かりたくて。
とにかくいろんなことに首を突っ込んで、根掘り葉掘りしたもので。
子供ってのは、多かれ少なかれそーゆーものだと、勝手に決め込んでいたから、自分の子どもらにはかなり早い時期からネット環境を与えたのよね。
いっくらでも、知りたいものに近づけられるように。
で、分かったのは。
「子供は好奇心の塊」ってのは、かなり誇張した表現なのだな、と。
好奇心はあっても、深掘りはしないの。
うちの子だけかも知れんけど。
興味対象でも、ちょい広く、ちょい浅く。
そんなものなのね。ツマラン
~~4月15日の呟きより